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CIC NOTE
昨年の紅葉が舞い散る季節に、身内のものに誘われて京都銀閣寺ちかくの法然院別邸の茶室に招かれ人生で初めてお茶会なるものに参加させていただいた。
各茶人が茶会の席に参列するが、私はずぶの素人なので本当に加わっていいものかとどぎまぎした。
その茶会ではまず入口で白い靴下を履き、一つ目の部屋で待ち受け、部屋の中央にはペルシャ絨毯に江戸時代のものと思われる木の彫り物の手あぶり(手元を温める火鉢)があり木炭がちろちろとオレンジ色に輝き、寒さを一瞬忘れそうになる。壁面には碗を売り歩く姿の男の横長の絵が墨でさっと掃いたようなモノトーンのタッチで軽快に描かれていて掛かっており、今にも画面から飛び出しそうな筆致であり秀逸である。
しばし見入っていると、次の間に案内された。次の間に行くには、いったん外の縁側に格子戸をあけて庭を横目にしながら縁側を踏み歩いていくことになるが、この庭の手入れ加減が実に見事である。自然のようでいて人がちゃんと手入れしている。一見、野暮でありながら粋であり四季折々の日ごとその時その瞬間のあらゆる表情を見せてくれる庭である。寒椿の妖艶な感じが心に沁みる。
次の間では20名ほどの老若男女が、正座や胡坐で着座している。ここでも床の間に湖畔の庵が描かれた軸組がさらっと掛けられており皆こぞって順番にその軸に見入り、眼を肥やしている。しばらくすると、主催者が菓子鉢に入った菓子を皆に配った。お茶を呑む前の菓子であり、まず、菓子の美しさに息をのみつつ頬張る。餡の甘味と爽やかさが口の中いっぱいに広がる。なんとも言えない。この甘味の対局に茶の味があり丁度良いと感じる。もちろん畳の上の菓子鉢にも屈んで、眼を凝らす。見たことのない模様が色鮮やかに描かれている。皆が装う着物の柄に季節があり、それぞれ個性があり見ていて飽きない贅沢の極みである。
いよいよ、お茶をいただく。茶室に躙口(茶室にかがんで入る出入口 全ての人がお辞儀をして茶室に入るので感謝と平等を表現)から入る。後ろの方にお先に失礼します。とお声がけをすることが作法だそうな。6畳の茶室に10名ほどがぎゅうぎゅうしながら着座する。
天井は低く、照明はない。小さな明りとりの窓がひとつあるのみである。窯からでる湯気がなんともいえず暗い空間の中を白く、茶の香りとあわせて漂っている姿が荘厳であり幽玄でもあり鳥肌がたつ。
主催者がたてたお茶を配り終え一服。(お茶を呑むこと)茶器を見る。それぞれの器にも物語があり、個性が光る。ここでは書の軸がかけられ万歳と力強い筆致で描かれている。いかにも見る手にエネルギーを送りつけるオーラがある。
また、花や花入れ、小物も床の間を彩る。主催者と正客(客の中で一番主な客 茶道に造詣が深い人)がそれらのものについて、雑談をする。そのやりとりも興味深い。茶道はまさに、茶・書・絵・花・陶・着・作法・菓・会話とそれぞれのスペシャリストが表現したものの集合体であり総合芸術である。
そして、一切の無駄がなく。過剰なことがひとつもない。そのような、複合した演出空間にどっぷり浸っている。心から心地良いと感じる。
偏りなくすべてのスペシャリストの仕事が違和感なく、バランスよくハーモニーを奏でている。人と人の対話もそこに生まれる。まさに理想とする仕事の遥か彼方にこの境地を感じる。 茶の道に私がコンテンツインテグレーションで目指している世界のヒントがあった。